襟裳岬に行くたびに、森進一の歌の歌詞「えりもの春はなにもない春~」を思い出すのです。
今までは夏にしかいけなかったので、いつも霧につつ
まれていて見ることができませんでした。「えりもの
夏もなにもない夏~」と思っていました。
ところがです。今回は違っていました。
襟裳岬は北海道のひし形の一番下(南)の角にある岬
で、美しい日高山脈の南の終点にあり、岬から続いて
伸びている岩礁がそれはそれは美しい岬だったのです。
しかも、その岩礁では、銭型あざらしがひなたぼっこ
をしていたのです。
実は、岬にあるステキな建物・風の館からコーヒー
でも飲みながら銭型あざらしを見学しようと思ったの
です。が、入館料500円で、喫茶店は無く、風体験の
設備みたいなのがあるだけなので、やめました。
喫茶店があったら入館料を払っても入ったでしょう。
すてきな建物なのに残念でした。職員が数人いまし
たが、お客さんはゼロでした。多分公立?
てなわけで、外で双眼鏡で銭型あざらしを見たのです。
かわいかったですよ。
(写真をクリックするとクリアに拡大されます)
それで、森進一の歌の歌詞ですが、「えりもの春」の
前の歌詞は何だったかしらと調べたら、
「北の街ではもう悲しみを暖炉でもやしはじめている
らしい」で始まるのです。
今回は山の方の旅館ではもうストーブを使用していま
したので、この歌は今頃の歌ではないかと、不思議に
思いました。
するとなんとすぐそばに
「きっこのブログ」2009.11.11の記事があり、彼女も
「えりもの春」に疑問を持ち、調査した結果、
なんと、えりもの春は作詞者岡本おさみが作ったもの、もとは「えりもの秋はなにもない秋」だったのだとか。
それを、作曲者の吉田拓郎が、歌いやすいためか、何
かで変えてしまったらしいというのです。
しかも、岡本おさみが襟裳に行ったのは、作詞をして
から7年後だったというのだ。
だから「なにもない秋」だなんて書いたのだろう。
えりもの秋はこんなにもすばらしいのに。
襟裳の人々よ、もっと怒って良いと思いましたよ。
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