2010年1月16日(土)
小松ニューホテルの夕食を食べ過ぎて、胃の調子が悪かった上に、昼食に食べたわかめラーメンの消化が悪かったらしく、昨夜の夕食は二人とも、ほとんど食べることができなかった。全く貧乏性が身に染み付いているのだ。
今日は遠くから見えていて気になっていた、熱海城を見学。
非常にりっぱな城だけれど実際には存在しなかった城だという。
(写真はクリックすると拡大できます)
天守閣にあるものと同じ金の鯱(しゃちほこ)
熱海城からの景色
一番驚いたのは、二階の日本城郭資料館に展示されていた、マッチ棒城郭模型だ。すべてマッチ棒でできていて、それはそれは精巧に組み立てられているのだ。
それも一つの城だけではない、日本の代表的な名城がほとんど展示されているのだ。それはそれはすばらしいものだった。
もう少しゆっくり見ていたかったくらい。すべての写真はアップできないので、姫路城と大阪城だけをアップする。
姫路城↓ 大阪城↓
作者は、左官職人であった故戸田氏というが、本当に匠の技、名人の技だと思う。 もっと長生きしてたくさんの城の模型を作って欲しかったと思う。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より熱海城について補足しておく。
熱海城(あたみじょう)は、静岡県熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設である。熱海城という城郭は歴史的には実在しない。
熱海城は、昭和34年(1959年)に海抜 100 m の位置に建てられた。外観5層、内部9階の日本の城郭に見られる天守を模して造られた鉄筋コンクリート造建築であり、天守閣風建築物とよばれるものである。浅野祥雲作による金鯱を戴く天守閣からは、熱海市街、初島、大島、相模湾を一望することができる。
三方が断崖という、城郭を築くには理想的な場所であり、北条家歴代の名将たちも、築城を目指しながら果たしえなかったと伝えられる。
映画『キングコング対ゴジラ』に登場し、映画のラストで、キングコングとゴジラによってミニチュアが破壊されたことがある。
かっては地下に温泉施設が在り、隣接する離れは宿泊棟だったが共に閉鎖され久しい、現役の展望台真下には旧い展望台がそのまま残る。
熱海城を出て、富士吉田の道の駅で、湧水を汲み、帰宅した。
2010年静岡の旅の終わりです。
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本トップへ
九州トップへ西日本トップへ
外国トップへ
2010年4月20日火曜日
爪木崎・静岡の旅(5)
2010年1月15日(金)
伊豆半島の下田市、須崎半島の爪木崎に野水仙の群生地がある。
今では植えた株を含めて300万本と言われる水仙が、海岸一面に咲いているのはなかなかの眺めである。
(写真をクリックすると拡大できます)
前回はほとんど終わっていたので、今年は早く行ったのに、やはり盛りを少し過ぎていた。前回は終わっていたから駐車料金は無料だったが、今回は500円也。
インターネットでライブで見ていても、色々な都合でジャストの時に行けないものである。
少し盛りは過ぎていても、なかなかきれいだったが、水仙は可憐な感じ。私にはちょっと物足りないかも。
水仙も良いが、もっとすばらしかったのは、青い海と爪木崎灯台の白とのコントラストだった。
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本トップへ
九州トップへ西日本トップへ
外国トップへ
伊豆半島の下田市、須崎半島の爪木崎に野水仙の群生地がある。
今では植えた株を含めて300万本と言われる水仙が、海岸一面に咲いているのはなかなかの眺めである。
(写真をクリックすると拡大できます)
前回はほとんど終わっていたので、今年は早く行ったのに、やはり盛りを少し過ぎていた。前回は終わっていたから駐車料金は無料だったが、今回は500円也。
インターネットでライブで見ていても、色々な都合でジャストの時に行けないものである。
少し盛りは過ぎていても、なかなかきれいだったが、水仙は可憐な感じ。私にはちょっと物足りないかも。
水仙も良いが、もっとすばらしかったのは、青い海と爪木崎灯台の白とのコントラストだった。
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本トップへ
九州トップへ西日本トップへ
外国トップへ
堂ヶ島温泉小松ビューホテル・静岡の旅(4)ホテルのアイディア
2010年1月14日(木)15日(金)
私達の旅は行き当たりばったりの旅で、出発前にインターネットで、泊まりたいリーズナブルな旅館やホテルの情報を複数コピーして持参し、当日の午前中に、電話して予約するのだ。
気分しだいで時間が狂うので、どこに泊まるかあらかじめ決められないからだ。
ゴールデンウィークかお盆以外は、泊まれないということはない。
定年退職後は、ゴールデンウィークやお盆には絶対旅行をしないから、泊まれないことは絶対ないのである。
今回は閑散期なのか、一度も断られることなく、泊まりたい宿に泊まれた。
私の誕生日のお祝いにと娘のおごりで泊まった、いつもよりは贅沢な宿は堂ヶ島温泉の小松ビューホテル。(写真をクリックすると拡大できます)
ここのホテルでびっくりしたのは、チェックインが済むと、ロビーで二人並ばされて記念撮影をされたことだ(もちろん、許可をとってのことだが)。
そして、チェックアウト時に、その記念写真をまわりの風景入りの封筒に入れて渡してくれたのだ。
これは良いアイディアじゃないかと思う。他の旅館やホテルでは今まで
もらったことがないので、新鮮に感じた。
記念写真には、絶景の宿小松ビューホテルとはっきり書かれているので、物覚えの悪い私もホテルの名前を覚えてしまったのだから。
小松ビューホテルには海岸に波しぶきを受けてはいることができる露天風呂があるのが特徴だ。お湯のすぐむこうが駿河湾なのだ。本当に身も心ものびのびできた。
館内にも露天風呂が色々あって、全部入ったが湯あたりしそう。
お料理もおいしくて、つい食べ過ぎたことを思い出す。
館内の露天風呂↓ 左の露天風呂から見た堂ヶ島↓
館内別の露天風呂↓ 左から見た堂ヶ島↓
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本トップへ
九州トップへ西日本トップへ
外国トップへ
私達の旅は行き当たりばったりの旅で、出発前にインターネットで、泊まりたいリーズナブルな旅館やホテルの情報を複数コピーして持参し、当日の午前中に、電話して予約するのだ。
気分しだいで時間が狂うので、どこに泊まるかあらかじめ決められないからだ。
ゴールデンウィークかお盆以外は、泊まれないということはない。
定年退職後は、ゴールデンウィークやお盆には絶対旅行をしないから、泊まれないことは絶対ないのである。
今回は閑散期なのか、一度も断られることなく、泊まりたい宿に泊まれた。
私の誕生日のお祝いにと娘のおごりで泊まった、いつもよりは贅沢な宿は堂ヶ島温泉の小松ビューホテル。(写真をクリックすると拡大できます)
ここのホテルでびっくりしたのは、チェックインが済むと、ロビーで二人並ばされて記念撮影をされたことだ(もちろん、許可をとってのことだが)。
そして、チェックアウト時に、その記念写真をまわりの風景入りの封筒に入れて渡してくれたのだ。
これは良いアイディアじゃないかと思う。他の旅館やホテルでは今まで
もらったことがないので、新鮮に感じた。
記念写真には、絶景の宿小松ビューホテルとはっきり書かれているので、物覚えの悪い私もホテルの名前を覚えてしまったのだから。
小松ビューホテルには海岸に波しぶきを受けてはいることができる露天風呂があるのが特徴だ。お湯のすぐむこうが駿河湾なのだ。本当に身も心ものびのびできた。
館内にも露天風呂が色々あって、全部入ったが湯あたりしそう。
お料理もおいしくて、つい食べ過ぎたことを思い出す。
館内の露天風呂↓ 左の露天風呂から見た堂ヶ島↓
館内別の露天風呂↓ 左から見た堂ヶ島↓
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本トップへ
九州トップへ西日本トップへ
外国トップへ
西伊豆スカイライン・静岡の旅(3)だるまーめん
2010年1月14日(木)
今年こそ駿河湾フェリーに乗ろうと思ってきたのに、あろうことか運休であった。仕方ないので、西伊豆スカイラインをドライブ。
途中道の駅富士で写真を撮り、だるま山高原レストランへ。(写真をクリックすると拡大できます)
だるま山高原レストランで昼食を食べならがら富士山見物。
本当にここからの富士山の眺めはいつもすばらしいと思う。でも、今日は晴れているのに、富士山の頂上には雲が張り付いている。
かなり度々ここをおとずれているように思うが雲ひとつない富士山が見られることはめったにないのである。どういうわけかここでは富士山の写真を撮っていない。
今回はめずらしいものをここだるま山高原レストランで食べた。
その名もだるまーめん。今流行りの黒米でできた麺だ。
ちょっとどす黒いが、つるつるしていてとてもおいしかった。
駿河湾フェリーが運休したおかげでおいしいものにありつけた。
途中あち道草を食いながら、今夜の宿泊地堂ヶ島へ。
堂ヶ島は風が吹きすさび海も荒れていて、堂ヶ島天窓洞もすさまじい波しぶきで中がよく見えない程であった。
以前は船が通っているのを見たこともあったのに。
冬の駿河湾は荒れるのだろう。ちょっと残念。
今夜の温泉は私の65歳の誕生祝いの娘のプレゼントなので、
ちょっと良い旅館に宿泊することにした。
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本へ
九州へ西日本へ
外国へ
今年こそ駿河湾フェリーに乗ろうと思ってきたのに、あろうことか運休であった。仕方ないので、西伊豆スカイラインをドライブ。
途中道の駅富士で写真を撮り、だるま山高原レストランへ。(写真をクリックすると拡大できます)
だるま山高原レストランで昼食を食べならがら富士山見物。
本当にここからの富士山の眺めはいつもすばらしいと思う。でも、今日は晴れているのに、富士山の頂上には雲が張り付いている。
かなり度々ここをおとずれているように思うが雲ひとつない富士山が見られることはめったにないのである。どういうわけかここでは富士山の写真を撮っていない。
今回はめずらしいものをここだるま山高原レストランで食べた。
その名もだるまーめん。今流行りの黒米でできた麺だ。
ちょっとどす黒いが、つるつるしていてとてもおいしかった。
駿河湾フェリーが運休したおかげでおいしいものにありつけた。
途中あち道草を食いながら、今夜の宿泊地堂ヶ島へ。
堂ヶ島は風が吹きすさび海も荒れていて、堂ヶ島天窓洞もすさまじい波しぶきで中がよく見えない程であった。
以前は船が通っているのを見たこともあったのに。
冬の駿河湾は荒れるのだろう。ちょっと残念。
今夜の温泉は私の65歳の誕生祝いの娘のプレゼントなので、
ちょっと良い旅館に宿泊することにした。
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本へ
九州へ西日本へ
外国へ
2010年3月12日金曜日
三保の松原・静岡の旅(2)
2010年1月13日(水)久能山の東照宮を後にして一路三保の松原へ
三保の松原に近づくにつれ、だんだん富士山の色が濃くなり、なんとか写真に映るようになった。
伝説の羽衣の松を祀っている神社は、もっと町内にあったと思ったが、海岸の松林の中にあって驚いた。人間の記憶、いや私の記憶が、いかにいい加減かがよくわかる。
三保の松原から見た富士山↓ 三保の松原の松↓
(写真をクリックすると拡大できます)
羽衣の松神社↓ 羽衣の松↓
三保園ホテルの敷地内にある清水灯台↓ 三保園ホテル↓
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本へ
九州へ西日本へ
外国へ
三保の松原に近づくにつれ、だんだん富士山の色が濃くなり、なんとか写真に映るようになった。
伝説の羽衣の松を祀っている神社は、もっと町内にあったと思ったが、海岸の松林の中にあって驚いた。人間の記憶、いや私の記憶が、いかにいい加減かがよくわかる。
三保の松原から見た富士山↓ 三保の松原の松↓
(写真をクリックすると拡大できます)
羽衣の松神社↓ 羽衣の松↓
三保園ホテルの敷地内にある清水灯台↓ 三保園ホテル↓
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本へ
九州へ西日本へ
外国へ
2010年3月11日木曜日
日本平・久能山 静岡の旅(1)
2010年1月13日(水)
日本平より富士山をのぞむ。海抜308mの日本平山頂からの富士山は薄くて写真に写らないほどだ。
毎年のように来ていても、はっきり見えたのは5本の指に入らないくらいだ。
日本平はアンテナだらけ。地デジに向けてアンテナが一気に増えたように思う。
空気が澄んでいれば、富士山を正面に、遠く伊豆半島の山並みや南アルプスを見渡すことができるというのに残念。
日本平↓(写真をクリックすると拡大できます) 看板↓
海抜308mの日本平から日本平ロープウェイで、海抜270mの久能山東照宮(重要文化財)へ。
徳川家康公が1616年4月17日駿府城で75歳の生涯を閉じたときの遺言「遺体は久能山、位牌は三河の大樹寺へ、一年後日光に祀って欲しい」に従って、久能山東照宮は建立されたとのこと。
50年毎の漆の塗り替えがすんだときなので、とてもきれいだった。
楼門↓ 神廟(家康公の墓所)↓
久能山東照宮で、再び家康の遺訓を読んで、まさに今の時代に適合するなあと感じて東照宮を後にした。
東照公遺訓
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。
心にのぞみ起こらば、困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害その身に至る。
己を責めて、人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
慶長八年正月十五日 家康(花押)
人はただ身の程を知れ草の葉の露も重きは落つるものかな
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本へ
九州へ西日本へ
外国へ
日本平より富士山をのぞむ。海抜308mの日本平山頂からの富士山は薄くて写真に写らないほどだ。
毎年のように来ていても、はっきり見えたのは5本の指に入らないくらいだ。
日本平はアンテナだらけ。地デジに向けてアンテナが一気に増えたように思う。
空気が澄んでいれば、富士山を正面に、遠く伊豆半島の山並みや南アルプスを見渡すことができるというのに残念。
日本平↓(写真をクリックすると拡大できます) 看板↓
海抜308mの日本平から日本平ロープウェイで、海抜270mの久能山東照宮(重要文化財)へ。
徳川家康公が1616年4月17日駿府城で75歳の生涯を閉じたときの遺言「遺体は久能山、位牌は三河の大樹寺へ、一年後日光に祀って欲しい」に従って、久能山東照宮は建立されたとのこと。
50年毎の漆の塗り替えがすんだときなので、とてもきれいだった。
楼門↓ 神廟(家康公の墓所)↓
久能山東照宮で、再び家康の遺訓を読んで、まさに今の時代に適合するなあと感じて東照宮を後にした。
東照公遺訓
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。
心にのぞみ起こらば、困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害その身に至る。
己を責めて、人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
慶長八年正月十五日 家康(花押)
人はただ身の程を知れ草の葉の露も重きは落つるものかな
ブログ元気元気トップへ
2010年4月より、旅日記を元気ナースの旅日記」に分離しました。↓こちらもどうぞよろしく。
元気ナースの旅日記・東日本へ
九州へ西日本へ
外国へ
登録:
投稿 (Atom)